穂高に行く途中に仰ぎ見る屏風岩は、滝谷とは比べものにならないくらい垂直で、一生かかっても自分は行ける領域ではないと、ずっと思っていた。ただただ見上げるだけの遠い存在でしかなかった。
昨年、相棒は、屏風に行きたいと言い出す。でも、まだそのレベルに達していないと思った。本気で登るなら、やらなければならないことが山ほどあった。
【8月13日】 晴れ 北穂BC - 涸沢 - 横尾BC
昨日、四尾根を終え、今日は横尾へ下山。途中、屏風岩のアプローチルートを確認する。
岩小屋跡に着き、ザックをデポして、徒渉。夏だと水が多くて徒渉できるか心配していたが、例年より雪が少ないため、沢の水も少ない。ラッキーだ。裸足でも行けたが、ぬるぬるして滑った。
T4尾根まで続く第一ルンゼ押し出しは、白い岩できれいだった。ちょうど東壁ルンゼ登攀から下りてきたパーティと会ったため、T4までの行き方を聞くことができた。暑いので水もたくさん持つようにアドバイスされた。ほんとに今回は、天気にも恵まれ、いろいろな人とタイミングよく出会い、ラッキーとしか言いようがない。相棒に「神ってる!」と言われる。自分でもそう思う。きっと屏風も登れると思った。
横尾に着いたら、テントを張り、装備を調え、明日に備えた。明日は3時30分にはテントを出発することにする。
相棒が弱腰なことを口にする。昨年はあんなに強気だったのに、いざ行くとなるとこの調子だ。それほど慎重ということなのだけれど。
「じゃあ、やめよう。二人同じ方向、向いていないのに、屏風なんか登れるわけないじゃん。」私のブチ切れ具合に、相棒、黙る。
しばらく、無言で各自のことをする。「もし登れなくて途中で引き返すことになっても、自分たちに何が足りないのか課題がはっきり見えてくるはずだから、それだけでも行く価値はあると思うよ。」と、最後にもう一度、強く押す。「そうやな。」と納得してくれ、屏風に挑戦することにする。この好天を逃したら、絶対後悔する。今度挑戦する時に、天気がよいとは限らないのだから。
パワーをつけるため、とっておきのしょうが焼きとごぼうサラダを食べて、眠りについた。でも、緊張しているみたいで、ほとんど眠れなかった。
【8.14.日】 晴れのち曇り
横尾BC 3:56 - 横尾谷徒渉 4:16- 第一ルンゼ押し出し 4:26 - T4尾根下部 着 5:26 - 登攀開始6:00 - T4取付着 7:35 - 雲稜ルート登攀開始8:00 - 5ピッチ目終了12:45 - 下降開始13:00 - T4取付着 14:55 - 下降開 始 15:15 - T4下部着15:58 - 徒渉 17:00 - 横尾BC 17:35
まだ暗い中、ヘッテンを点けながら登山道を歩く。徒渉も暗いので、昨日予習しておいてよかった。沢の向こう岸にヘッテンが光っている。先行パーティがいるみたいだ。単独で雲稜に登るとのこと。そんなこと、できるの??? 彼も昨日、下部岩壁取付まで下見したらしく、話しながら取付まで行った。
第一ルンゼ押し出しを詰めていくと、屏風岩の全貌が見えてきた。今更ながらに垂壁に圧倒される。雲稜ルートを目で追い、自分のピッチを確認する。
T4下部は、尾根と言っても立派なクライミングと資料には書いてある。特に最初の2ピッチが難しいらしく、ここを難しいと思ったら雲稜ルートを諦めた方がいいとまで書いてあった。
■T4下部■
単独だと、1ピッチ登るのに3倍の時間と労力がいるとのこと。先に行かせていただく。好天で、盆休み前半に屏風岩に登るパーティは終えてしまったらしく、今日はこの方と自分達だけみたいだ。マイペースで登ることができ、快適だった。
【1ピッチ目】 35mⅣ H
スラブ状フェイス。右側のラインを行く。支点がしっかりしているが、ホールドが乏しく左のラインより少し難しいとのこと。資料に書いてあった通り、見た目より大変だった。
【2ピッチ目】 35mⅤ K
ランペ状テラスより、かぶったフェイスを越えるが、けっこう辛い。小バンドに立ち、左上するクラックから灌木のテラスへ。 ここをリードしなくてよかったと思った。相棒は、1ピッチ目の方が難しかったと言っていた。適材適所でうまくいった。
【3ピッチ目】 35mⅠ H
樹林帯の土のルンゼ
【4ピッチ目】 25m Ⅲ K
大変なところにはフィックスロープあり。
■雲稜ルート■
【1ピッチ目】 コーナー、ハング、ピナクルテラスまで 50m 5.7 H
正面のコーナーを直上。上に行くほど急になって高度感が増すが、支点も豊富、ホールドもしっかりしているので、それほど大変ではなかった。最後に小ハングがあり、頑張ればフリーでも行けそうだったが、3ピッチ目に余力を残しておきたかったので、あっさりとあぶみを使い、A1する。
よさそうな終了点がある幅20センチほどのテラスをピナクルテラスと思ってピッチを切ったが、その2メートル上のもう少し幅の広いテラスがピナクルテラスだった。人気ルートのため、途中で終了点がいくつもあり、どこで切ればよいのか迷うことが多かった。
【2ピッチ目】 小垂壁を右上し、細かいフェース、バンド、扇岩テラスまで 40m 5.9 K
出だしの垂壁を右トラバースするのがとても悪く、相棒、難儀する。なんとかヌンチャクをかけてA1するようアドバイスする。そこを越え、階段状のバンドを左上すると扇岩テラス。ピナクルテラスより広くて、快適。
【3ピッチ目】 残置ボルトの豊富な垂壁 40m Ⅳ+(A1) H
フリーで行くならここが核心(5.11+)だが、その気は全くなし。垂壁の写真も見ていたので圧倒されることなく、覚悟を決めてあぶみで淡々と登る。新しいステンレスのボルトも所々あったが、古いリングボルト、リングがなくなってしまっているボルトの頭に細引きがかかっている支点がほとんどだった。なるべく利きがよさそうなものを選んで、ランニングを取っていった。巻き込みしなくても立ち込んだままで十分に休めた。ハング下のレッジでビレー。
2パーティ、下部岩壁を登ってくるのが見えた。雲稜ルートに来るのかなと心配になったが、どうやら東稜、東壁ルンゼに行ったみたいだ。
【4ピッチ目】 バンドを右へトラバース、ルンゼを右に渡り、フェース 60m 5.9 K
ハング下を右へ。岩がもろい。大きめのフレークに指をかけたら、欠けてしまった。相棒、ピッチを切らずにそのまま上の草付きフェースまで繋げて登り、東壁ルンゼへ入った。 振り向くと常念が見守っている。眼下には梓川の流れも見えた。
【5ピッチ目】 左に出てルンゼ状のスラブ、クラック、スラブ 50m Ⅳ K
資料では6ピッチ目となる。私のビレーポイントは狭いところが続き、体勢悪くてあまり足を休めていないだろうと、相棒が気遣ってくれ、「自分が行くよ。」と言ってくれた。優しい。ありがたくお願いする。相棒はスラブが得意なので、うらやましい。
でも、ここは行った人のレポートを見ても、難しいスラブと書いてあった。急だし、ホールドが無いし、思わずヌンチャクを掴んでしまうことが何度もあった。自分がリードしなくてほんとによかったと思いながら登った。
屏風の頭までは、さらに脆い濡れたガリー(7ピッチ目)を登り、藪こぎもある。頭に立ったとしても藪で景色は見えないし、テン場に着くのも遅くなってしまう。ほとんどんのパーティはここで終了し、懸垂下降をしている。
私達も、ここ(6ピッチ目)で終わりとする。お互い、がっちり握手する。滝谷のように稜線まで登り詰めないので、頑張ったわりにはさっぱり感がなく、安堵感のほうが強かった。振り返り、ただただ常念を静かに眺める。
「私達のオリンピック(挑戦)も終わっちゃったね。」と言うと、「そやなあ。金メダルで最高やったなあ。」と、相棒。ほんと、自分たちにしては上出来だった。さわやかな風が吹いていた。
いつまでも余韻には浸っていられない。懸垂も気が抜けないので、気持ちを切り替える。
5ピッチの懸垂下降に2時間を要した。扇岩テラスからは、東壁ルンゼのハングをあぶみで乗越しているパーティが間近に見え、少し話を交わす。T4尾根下降も2ピッチで40分ほどかかり、T4尾根下部に着いたとき、やっと安心できた。
単独の方は、T4尾根だけ登ったようだった。きっとパートナーがいれば登りたかったに違いない。自分は幸せだなあと思った。
テン場に帰ったらどっと疲れがでてきて、とりあえずビールで乾杯した。
夕食後には、小雨が降り出してきた。予報では昼ににわか雨とあったので、今日一日、お天気がもったことに、また、「神ってる!」と言われる。
【8.15.月】 曇りのち雨 横尾BC - 上高地
予報では朝から雨だが、起きたらやんでいた。また降り出す前に、さっさと撤収し、上高地へ向かう。
徳澤では、頑張ったご褒美のソフト。ガスで屏風も隠れてしまっていたが、いつもと違う気持ちで上高地へ下山した。
バスに乗ったら、土砂降り。最後の最後まで、今回の私達は神っていた。 相棒の車には『 What a wonderful day! 』が流れ、心地よかった。「穂高、本当にありがとう。とてもいい夏だったよ。」と、しみじみ思った。
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