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梅津又四郎慰霊登山(テント泊)

八甲田の山岳スキーヤーの先駆者である梅津又四郎が昭和26年3月28日に八甲田の大国見で遭難死してから今年で75年になる。今回のテント泊は、梅津コースを辿りながら、遭難地点で慰霊を行うことを目的に、梅津コースの起点である毛無岱小屋前でテント泊を計画したところ、kumaとoosawaが参加してくれた。

梅津コースの起点である小屋の前にテントを設営する計画でしたが、強風のため、さらに北進して、風を避けるため、トドマツの陰にテントを設営することに。梅津コース指導標No.04の目の前のトドマツ林が、西風を防ぐ防風壁となっており、テント場としました。

毛無岱小屋から梅津コースがダイレクトコースと交差する地点までのログです。(酸ヶ湯~毛無岱小屋は省略)
梅津コース指導標No.4前に設営した2張のテント
夜のテント場。右上の空も青森市街の光を反射して輝く
テント内のオレンジの光を反射したトドマツの枝

久し振りに2人用テントに2人で寝たので、(当然ですが)暖かく眠ることができました。でも、気を抜くと、思わぬ失敗も。翌朝起きると、oosawaのプラティパスの注ぎ口が凍っていました。幸い、ほとんど水が入っていませんでしたので、実害はありませんが、3月下旬の暖かい夜とはいえ、テント内は水が氷る気温です。

翌朝は5時に起きると、曇り空ですが無風。梅津コースの指導標を確認しながら、ゆっくり歩く予定なので、風がないのはありがたい。7時半出発の予定でしたが、全員準備ができたので、サブザックを背負い7時出発。

テント場前の指導標No.4
寒水沢から左岸に上がる指導標No.19

出発から1時間、梅津又四郎の遭難地点とされる(枯れた)トドマツに到着。15年前の慰霊祭では、緑の立派なトドマツにブルーモリスのスキー板が打ち付けられていましたが、見る影もありませんでした。

早速慰霊の準備。スコップで雪のブロックを切り出して祭壇を造営し、花の代わりに、風雪で落下していたブナの梢を両側に配置。梅津又四郎の好物とされる「キンツバ」を供え、ろうそくを灯します。その後、参列者が各自、線香を手向けます。ろうそくを回収し、供えたキンツバは、参列者がその場で食しました。

祭壇を作り、梅津又四郎の好物とされる「キンツバ」を供える
参列者が各自、線香を手向ける

帰路、湯坂に出ると南八甲田は全開、好天。脚が疲れたので、重荷を背負って湯坂を降りるのは無理とのことで、往路同様、女中坂を滑走して酸ヶ湯温泉着。歩くよりも、滑る方が疲れます?という方もいましたが、それではスキーを履く意味が薄れますよね?

駐車場で荷の整理をして車に積み込み、山行の締めは、最近定番となった酸ヶ湯温泉でのお蕎麦。今冬のテント泊を振り返りながらの昼食でした。前回のトドマツ岱イグル泊といい、今回の梅津又四郎慰霊テント泊といい、物語性のある山行は、遠くまで足を延ばさなくても楽しいものです。参加してくれたkumaとoosawaにお礼申し上げます。

21日 10:50酸ヶ湯温泉前-12:40毛無岱小屋-12:50梅津コース指導標No.04(テント設営)
22日 07:00梅津コース指導標No.04-08:00梅津又四郎遭難地点(慰霊)-08:40ダイレクトコース-10:00毛無岱小屋-11:00酸ヶ湯温泉

<参考>2009年4月30日と2010年4月25日に開催した慰霊祭の様子を下記の山行記録から確認できます。下の写真は2010年のものです。

八甲田 梅津又四郎氏遭難地訪問登山 – 2009年04月30日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

北八甲田 梅津又四郎氏遭難地訪問登山 – 2010年04月25日 [登山・山行記録]-ヤマレコ

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