【12.29】曇りのち晴れ
新穂高温泉 - 穂高平小屋 - 白出沢 - 涸沢岳西尾根 - 2400mテン場
新穂高温泉の駐車場は雪がほとんどなく、いつもと違う雰囲気を醸し出していた。意を決して出発する暗い雰囲気は微塵もない。なんだか明るくて春めいている。
長年の夢、厳冬期の奥穂高岳。そのために、西穂高岳、槍ヶ岳と、ステップアップしてきた。
昨年、初挑戦。しかし、爆弾低気圧が居座っていた。涸沢岳西尾根に取り付いていたのは自分たちだけで、膝までのラッセル。しかも、重荷+急登。1時間に100m上がるので精一杯。奥穂どころか、蒲田富士、2400mのテン場までも辿りつけず、結局、2100mで敗退。どう考えても、涸沢岳西尾根を登れる気がしなかった。自分たちの体力、力量不足を痛感した。
下山時、奥穂稜線で遭難してヘリ待ちのパーティがいたことを知ったが、あの天気の中、よく頑張ったなあと思った。
新穂高登山センターで登山届けを出し、出発。登山道に入ってからも、雪が少ない。白出沢も雪に埋まっておらず、岩を跳ぶようにして渡る。西尾根にはしっかりしたトレースがあり、階段状になっていた。思わずほっとする。雪が少ない分、笹が邪魔だったが、昨年とは比べものにならないスピードで登れた。ありがたい。
2400mのテン場は細尾根にしては確かに広いが、この夜は12張りにもなった。飽和状態で、涸沢のような雰囲気さえした。びっくりした。
前日入りして日帰りピストンしてきた男性が、「トレースのない蒲田富士のナイフリッジを行くときは怖かった…」と話していた。トレースをつけてくださり、感謝の気持ちしかない。あとは、行くだけ。
自分たちは明日、全装備背負って冬季小屋に泊まることにする。天気がよいみたいだし、冬季小屋に泊まってみたい。奥穂に少しでも長く留まっていたいという意見で一致。いよいよ奥穂へと思うと、うれしくてたまらなかった。でも、Tさんが「超細い」と言っていた蒲田富士の稜線・ナイフリッジをこの重荷で渡れるだろうか…。それだけが心配だった。
【12.30】晴れ
2400mテン場 - 蒲田富士 - F沢のコル - 涸沢岳 - 穂高岳山荘冬季小屋 - 奥穂高岳山頂 - 冬季小屋
明日は天気が崩れるとの予報のため、ほとんどのパーティが日帰りピストンのようで、朝暗いうちから出発していった。200m上り詰めると南稜との合流点。思っていたよりすぐ着いた。振り返ると笠ヶ岳がピンクに染まっていた。例年より少ないのかもしれないが、穂高方面に比べるとだいぶ雪が多いようだ。白くて美しかった。
蒲田富士に取り付く登りも、思っていたほど大変ではなかった。台地状で平らな蒲田富士頂上。ピークを確認しないまま、ナイフリッジに突入。雪庇も短く、トレースもあるので怖くない。すんなりと通過することができた。Tさんにあれほど脅かされていたのに、拍子抜けだった。
F沢のコルから見上げると、ルンゼに8人ほどの人が張り付いているのがありのように見えた。人が多く、ここでもまるで春の涸沢 – 奥穂のように感じる。ルンゼにもトレースができていて、怖くない。思っていたよりも短い時間で稜線まででることできた。(前穂北尾根の5.6のコルに詰め上がるよりラクだと感じた。)
稜線に上がると、夏に登った滝谷ドーム中央稜が黒く存在感を際立たせていた。あんなところを登ったんだなあと、感慨にふける。稜線から涸沢岳までは思ったより遠く感じた。
涸沢岳からは、富士山、前穂、奥穂、ジャンダルム、西穂、笠、槍。360度の展望だった。こんな天気のよい日に、しかも冬に、登れることができて、なんて幸せなんだろうと、奥穂と空の神様に感謝する。空気が澄んでいるからか、富士山がいつもより大きく見えていた。2015年はいろいろなルートから穂高を満喫することができ、とても充実した年だった。感謝の気持ちしかなかった。
穂高岳山荘は雪に埋まり、屋根だけが見えていた。冬季小屋は、前日すれ違ったパーティが、玄関を1時間かけて掘り起こしてくれたとのこと。ありがたかった。今日は、東京の3人組のパーティと、プロカメラマンも、泊まるとのことで、心強かった。
ザックを軽くして、奥穂に出発。鎖も出ていていた。風は強いが、頬に突き刺すような痛さではない。太陽がまぶしいくらいだった。
こんな好条件の下、奥穂の頂上に立てるとは思っていなかった。ちょうどプロカメラマンの方も登ってきたので、写真を撮ってもらう。ラッキーだった。
小屋は暖かくて、平らで、とても快適に眠れた。夜明け前に風が強くなり、小屋をたたく音が大きくなりだし、目が覚めた。
【12.31】曇り
冬季小屋 - F沢のコル - 蒲田富士 - 2400mテン場 - 白出沢 - 穂高平小屋 - 新穂高温泉
4時に起床し6時に出発の予定だったが、外はガスで真っ白。積雪はそれほどでもない。しばらく様子をみることにする。50分ほどして奥穂や涸沢岳の取り付きも見え始めたので、出発することにする。
涸沢岳は、夏だと15分ほどだが、春には遭難することもあるので甘く見ずに、コンパスをしっかり合わせ、出発した。
風はあるが、寒くない。ガスの中、微かに笠ヶ岳も見え始めてきた。
ジャンはガスから出たり隠れたりしていたが、次第にガスに包まれ消えてしまった。昨日とはうって変わってどんよりと暗い空と山だった。西尾根から見える景色を目に焼き付けた。
F沢上のルンゼから見下ろすと、蒲田富士がとても低く感じた。
蒲田富士のナイフリッジの壁の高さは、自分の身長より高くなっていた。ピストンした人達のおかげで、雪庇の壁とトレースの高低差が広がったのだろう。怖いという気持ちは微塵もなかった。
テン場には、もう3張りしか残っていなかった。トレースはさらに広く立派になっていて、まるで高速道路のようだった。
白出沢出合で、アイゼンを脱ぐ。これから槍ヶ岳に行くというおじさんと会う。今回が5回目の挑戦だとのこと。「今回行けなければ、あと行けないだろう。」と言っていた。本当にその通りだと思う。こんなラッキーな条件の下で行けなければ、本当に実力がないということだと思う。
できれば、2016年第一弾の山行としたかったが、好天を見逃すことはできず、結局、2015年最後の山行となってしまった。最後までノーわかん、ノーラッセル、ノーザイル、そしてガチガチした雪面にアイゼンを食い込ますことは無かった。暖冬でよかったのか悪かったのか。登れたことはよかったが、達成感という面では物足りない部分もある。でも、これ以上ないというコンディションで登らせてもらい、文句をいうのは穂高に申し訳ない。素直に感謝し、この経験をこれからの糧にしていきたいと思う。
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